間一髪

何やってんだ自分… orz

とりあえず、以下の画像をご覧ください。

うちは備え付けの電気コンロの上に、電磁調理器を置いて料理をしてるんですよ。電気コンロの火力がちょっと物足りないのがその理由です。んで、ついさっきお湯を沸かそうとしたところ、誤って下の調理器具のスイッチを最大出力でONしてしまったと…。一瞬席をはずして、戻ったら煙が出てるんです。

どう考えても僕のミスです。大惨事にならなくてよかったですよ、ほんと。

溶けた部分を拡大した写真は次のような感じです。

溶けたプラスチックの部分とかが糸を引いてたりしてちょっとだけグロかったです。臭かったです。

コンセントのシールドの部分が少し溶けていたので、電源を入れるのは自主規制してます。ちょっと怖いので廃棄しようと思ってます。さーアマゾンアマゾン(ぇ

一人暮らししている方で、同じような形で電磁調理器などを使っている方も多いかもしれません。その際は、下のコンロなどのスイッチの部分を何かで覆っておくことを強くお勧めしますよ。…なかなかこんなことやらないかもしれないですが。。。

インターネット大学作ったら面白そうだ

  • オープン。誰でも受け入れる
    • アカウントをとる感覚で入学みたいな
    • 学費なし
  • 授業は、BLOGとかYoutubeとか
  • Googleとかで検索可
  • 生徒はみんなBLOGを書く
    • レポート替わりにBLOG
  • 単位とかなし
  • 学生交流とかは主にネットとかで
  • 講師の方々は有志とか…

どうだろうなぁ。面白いと思うんだけどなぁ。儲けるとかそんなじゃなくて、みんなでノウハウとか知識とかアイディアを共有しましょうというかんじの試みですね。アウトプットしてなんぼの世の中ですから、知的創造のポータルって感じになるんですかねぇ。

そもそも教えることって

自分の利益とか対価とか求めたら負けな気がする。次世代の育成って、本質的には人類の発展には欠かせない要因なわけで、人類の歴史上必須なものなのだ。で、先に生きた者としては、自分の教訓とかそういうものを体験談的に軽く受け止めてもらって、それを後世を生きる子孫たちが踏まえたうえでなんかやって、あぁ面白いなぁとか元気だなぁとか思っていればそれはそれで楽しいわけで。さらに後輩がうまくいった上で「ありがとうございました」ってのが理想というかそれがWin-Winな関係なわけで。そうなってこそ初めて感謝というか謝礼というか、対価が生まれてくるんじゃないかなぁ。

そう考えてみると、よく言われますけど先行投資ですよね、教育って。自分に対しての教育もそうだし、他人に関してならなおさらそう。

大学生活も後半に突入して、僕も教える機会が多くなってきました。一応ですが教える身となった僕にもそれなりの心構えがあります。小手先のテクニックとかなんかはグーグル先生に聞けばすぐにでもわかるので、自分の経験を通じて感じたこととか体験したことを教えてあげようと思うんですよね。先輩とかそういう肩書きとか関係なしで、少しばかり人として先に生を受けた者として。僕の地道な言論が転ばぬ先の杖として役立てばいいなぁという程度にですけれども。押しつける気は全くないですので、参考程度に聞いてもらえればいいかなぁというスタンスです。

結局何が言いたいのかというと、教育とは人類普遍の原理であって、先に生を受けた者として当然の行為である。ただ、これは僕が教育を享受するのが当然ということではないです。受ける側の考え方ではなくて、する側の考え方です。職業先生じゃなくても、本気で後輩とかを育てよう、教えようと考えて実行した人が、新の先生と言われてしかるべき人だと思います。そこには一般的な損得勘定がないように思う。

教えることに関してもそうですが、上記のような損得勘定がほどんとないような奉仕精神旺盛な人たちは、もっと評価されるべきであると思う。

当り前の行為であるからこそ、当たり前に実行する人がすごい。

僕はどちらかというとそういう大人になりたい。


追記。

今の時代、グーグル先生とかに聞けば小手先のテクニックとか知識とかはいくらでも手に入るんだから、そういうのを教えるような教育は虚構みたいなもんで、知識とかテクニックとかを活用して実際になんかをやるときのノウハウとか失敗談とかを教えるのが教育の美しい形なんじゃないですかねぇ。そういうのが簡単にできる場を作りたいなー、って発想がインターネット大学作りたいというところになったりするんですよねぇ。

理想論者なんですかね。そんな儲からないこと誰もやらないんですかね。

デスクトップアプリケーションプラットフォームとかいろいろ

Google Gears が登場したのでちょっと自分用にまとめ。アプリケーションのフレームワークというかプラットフォームというか、そういう類のいま話題になってるやつ。

もともと WPF/E とか呼ばれてたもので、WPF を用いて書いたデスクトップアプリケーションがブラウザとか他の OS 上でも動作するってやつ。開発に VisualStudio とか使える。これまでデスクトップアプリケーション作っていた人が Flash みたいなの作れますよ、って感じ。

Flash がデスクトップアプリケーションになる。非同期通信とかオフライン明けのデータの同期とかも考えられている感じ。ActionScript が書けなくても HTML, Javascript で用意された API 叩けばローカルのファイルアクセスができたりデータ同期の恩恵も受けられる。Flash とか Web アプリケーション作ってた人がデスクトップアプリケーション作れますよ、って感じ。

Web アプリケーションにデータレイヤを用意してオフライン時の閲覧とかデータの同期とかが可能になる感じ。Web アプリケーションに簡単な修正でそういうことができるようになるっぽい。

  • Slingshot ( Rails でデスクトップアプリケーションみたいな感じの )

番外編みたいな感じ。RubyRails とブラウザをパッケージしてスタンドアロンRails アプリケーションを作れるようなもの。Rails で(荒業っぽいけど)デスクトップアプリケーションが作れる。ドラッグアンドドロップのサポートがあったりする。

と、大体こういう解釈でおkなんですかね?

マルチメディアのスタンダードは Adobe だからなぁ、そういう方面のアプリケーション連携のことも考えたら Apollo 優勢なのかなぁ。個人的には Slingshot を激しく応援したのだけれども、いろいろ問題があるようだし・・・。

行く末とか動向とかが読めないときは、自分が未来を創るくらいのノリでひとまず理想のアプリケーションを書いてしまえばよいと思います。

無理しないと何も変わらない

某三流私立大学、21才、インターネット放送局の代表みたいなのをやっている平凡な大学生が今感じたことをリアルじゃないかもしれないけれど言葉にしてみるよ。

俺が今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ

某大手国立大学卒業、25才、大手IT系企業に勤める優秀な社員が
今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ

親に飯を食わせてもらっている上に大学まで行かせてもらっているような井の中の蛙なので大変恐縮なのですが、自分はどうしたいかコメントしてみたいと思います。

まず、無理ならば無理といってしまえばいいと思います。ただ、それでは根本的な解決にはならず、いつまでもやりたくないと言っていては飯が食えなくなりますので、やりたくないならばそれをやりたいものに変えてけば良いのではないか、というのが僕の主張です。同じ無理をするということでも楽しんで無理ができるのとできないのとでは大きな違いがあるのではないでしょうか。楽しくないから無理なのであって、楽しければ大変ぐらいなレベルなのではないでしょうか。無理をする自分なりの意義が見いだせれば、せめて自分だけでも変われると思うのです。

言って、動いて、変えればいいんです。みんなそう思っているなら、変われるはずです。ただ言わず何もやらずに去るのは逃げるのと一緒です。せめて自分だけでも最大限にがんばって、少しずつ体制・意識などを変えていければよいのではないでしょうか。それで変わらないならば搾取の対象となるか、組織を離れ自分の力で食っていくのがいいのだと思います。

僕はまだNoといえるくらい頑張っていないと思うので、Noなんてとても言えません。自分の基準でNoと言っているようではそこに成長はありません。「無理」、「つまらない」などの理由でやりたくないことがあるとき、何とか自分が楽しく実行できるようにして、頑張ろうと思っています。そこに「無理」があるとすれば、本当に無理なんだと思います。限界です。

と、言ってはみたものの、自分の力で飯を食っていない以上、僕は口先だけなんですけどね。僕はもっとチャレンジをして実力をつけないといけないです。そのためなら給料なんて安くてもいいんです。

リンク先の文章も含めてなんですけれど、もっと頑張らないとなぁ、と思わせてもらえる生の文章がたくさん読めて、僕は良い時代に生きてると思います。大学の講師にも言われました、必死さが足りないと。図星でした。

もっと無理をしないといけないなぁ、そう思う毎日です。

誰かと一緒に何かをやること

人である以上、生産活動は必須であると思う。僕らは食わねば生きてはいけない。それは自然なことだ。

食い物を作らないなら、食い物以外のものを生産し、その対価として結果的に食い物を得なければ生きてはいけない。

どんなことをするにせよ、最終的には何かしらのものを成果物としてアウトプットし、それを相手に享受してもらわなければ対価を得られない。

つまるところ、何をどのように作りどうするのか、などそういったことが双方の合意の上で進めるのがリスクを最小限に抑える基本なんじゃないかなぁ。

やっぱり、みんな食うために必死なわけで、すでに所有している生きるための自分のリソースを簡単には手放したりしないだろう。そんな中でなんとか納得してもらい合意してもらうまでの、ある程度の時間的・資金的な投資はあって当然だ。

だからこそ、何事もしっかりと合意した上で進めないと、一方的に損をしたりだとかそういった不利益を生むことが起こりえるものだと思う。

まぁだからと言って、合意が得られないと動かないとというスタンスを取り続けていると結果的に全く食えなくなる可能性もあるわけで、そこらへんは状況などによると僕は思う。

少なくとも、学生である今のうちは、将来に確実に食っていくための時間的・資金的な投資は惜しんではいけない気がする。自分の理想を追求するためには、僕はとにかく努力しなければいけないのは明白である。

今は徹底的に安売りをして信頼を獲得し同時に実力をつけ、将来的に合意に至りやすくしておく、それが今僕のやることなんじゃないかと思う。

だからこそ、誰かと一緒にやることの方法論は、今から将来まで、必須になってくると思う。それが、いわゆる世間一般のコミュニケーション力なわけで。

intebro に所属し、CEATEC JAPAN プロジェクトでそれを学べるだけでも、幸せだと思いたい。

コメンテーター

やる、やらない

やりたい、やりたくない

という自分の視点がない「コメント」を発する人がプロジェクトに多いと、必ずプロジェクトは失敗する。

当事者のコメントはいらない。意見はほしい。

傍観者なら、それに徹してほしい。

もっと当事者意識を持ってほしい。