無理しないと何も変わらない

某三流私立大学、21才、インターネット放送局の代表みたいなのをやっている平凡な大学生が今感じたことをリアルじゃないかもしれないけれど言葉にしてみるよ。

俺が今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ

某大手国立大学卒業、25才、大手IT系企業に勤める優秀な社員が
今感じてる閉塞感をリアルな言葉にしてやるよ

親に飯を食わせてもらっている上に大学まで行かせてもらっているような井の中の蛙なので大変恐縮なのですが、自分はどうしたいかコメントしてみたいと思います。

まず、無理ならば無理といってしまえばいいと思います。ただ、それでは根本的な解決にはならず、いつまでもやりたくないと言っていては飯が食えなくなりますので、やりたくないならばそれをやりたいものに変えてけば良いのではないか、というのが僕の主張です。同じ無理をするということでも楽しんで無理ができるのとできないのとでは大きな違いがあるのではないでしょうか。楽しくないから無理なのであって、楽しければ大変ぐらいなレベルなのではないでしょうか。無理をする自分なりの意義が見いだせれば、せめて自分だけでも変われると思うのです。

言って、動いて、変えればいいんです。みんなそう思っているなら、変われるはずです。ただ言わず何もやらずに去るのは逃げるのと一緒です。せめて自分だけでも最大限にがんばって、少しずつ体制・意識などを変えていければよいのではないでしょうか。それで変わらないならば搾取の対象となるか、組織を離れ自分の力で食っていくのがいいのだと思います。

僕はまだNoといえるくらい頑張っていないと思うので、Noなんてとても言えません。自分の基準でNoと言っているようではそこに成長はありません。「無理」、「つまらない」などの理由でやりたくないことがあるとき、何とか自分が楽しく実行できるようにして、頑張ろうと思っています。そこに「無理」があるとすれば、本当に無理なんだと思います。限界です。

と、言ってはみたものの、自分の力で飯を食っていない以上、僕は口先だけなんですけどね。僕はもっとチャレンジをして実力をつけないといけないです。そのためなら給料なんて安くてもいいんです。

リンク先の文章も含めてなんですけれど、もっと頑張らないとなぁ、と思わせてもらえる生の文章がたくさん読めて、僕は良い時代に生きてると思います。大学の講師にも言われました、必死さが足りないと。図星でした。

もっと無理をしないといけないなぁ、そう思う毎日です。